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いにしえの記憶第2章(その19) [いにしえの記憶]

過ぎ去った日々に徐々に埋もれていく、遠い日のいにしえの記憶

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写真は、昨日(5月14日)に与野公園に散歩に行った際、バラ園に咲いていた「カクテル」です。

テレワークで歩くことが減った対策として、休日に散歩に出掛ける公園の一つが与野公園です。与野公園が会場となる「ばらまつり2023」は5月20日・21日の開催ですが、この日、多くの人でバラ園は賑わっていました。そして、既に見頃を終えて散り始めた薔薇も多かったです。

「カクテル」から想い起こされる、きわめて個人的な、いにしえの記憶です。

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1966年10月、私が小学校4年生の時、多摩地域に家を新築して、私の家族は小金井公園からさほど遠くはない所に品川区から引っ越してきました。引っ越した家の庭は、かなり広かったです。

私の父親は、薔薇が好きでした。品川区に住んでいた頃、私の父親はいつも、薔薇の図鑑(?)のようなものを眺めていました。そして、私を連れて「とどろきばらえん」に薔薇を鑑賞しに行くこともしばしばでした。

そんな父は、新居に引っ越したら “薔薇を栽培する” と口癖のように言っていました。

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新居に引っ越して、父は庭の1/5程のスペースに、様々な種類の薔薇を植えました。品種名は解りませんが、黄、ピンク、赤、などなど様々な花を咲かせてくれました。

しかし、私の家族は皆、薔薇を好きではありませんでした。私の母親も兄も姉も、薔薇の花を “押しつけがましい”、“棘がある” と言って、嫌っていました。私も、薔薇の花は暑苦しい感じがして好きではありませんでした。

結局、庭の4/5のスペースには父親以外の家族の要望で、数種類の松、10種類ほどのつつじ、合歓、山椒、白樺、柘植、カイドウ、サルスベリ、ハクモクレンなどが植えられました。

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家族にとっては憎まれ役の薔薇でしたが、唯一、家族に評判が良かったのが「カクテル」でした。塀のフェンスに這わせるように植えられた「カクテル」、この一重で可憐な薔薇は家族に好評でした。私も八重の薔薇が持っている暑苦しさを感じさせない、一重でさわやかで、色鮮やかな「カクテル」が好きでした。

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父親は薔薇の手入れを熱心にしていましたが、薔薇の栽培は難しいのか、時を重ねるごとに次々と庭から姿を消していきました。しかし、「カクテル」だけは私が大学生の頃まで、可憐な花を見せてくれていたと思います。

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「カクテル」を意識して見たのは、45年ぶりくらいかも知れません。父親は23年前に他界しています。

もしも、家族が薔薇に対して寛容であったのなら、父親は庭一面を薔薇で埋め尽くしたかったのかも知れません。

与野公園の「カクテル」を前にして、いにしえの日々に、父親が育てていた薔薇について思いを馳せた次第です。


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