23年ぶりに(パート3) [つれづれ日記]
私が「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、特に注目した4つのイベントについて記事、パート3です。
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【60’s Racing Car デモンストレーション】
1960年代からモータースポーツに興味があった私が、一番見たかったイベントは実はこれでした。そして、このイベントに登場したレーシングカーの中で最も見たかったのが、ローラT70MKⅢです。
ローラT70MKⅢ
今から50年前、TNT(トヨタ、ニッサン、タキ)の激突となった1968年日本グランプリ、タキレーシンチームから2台のローラT70MKⅢがエントリーしました。ドライバーはゼッケン25番が長谷見昌弘さん、ゼッケン26番が田中健ニ郎さんでした。
予選では高橋国光さん、北野元さんの2台のニッサンR381に一歩及びませんでしたが3位、5位に位置し、決勝では田中健二郎さんのローラT70MKⅢがニッサンR381と序盤トップ争いを演じました。しかし、残念ながら、長谷見昌弘さん、田中健二郎さんの2台ともにトラブルでリタイアという結果に終わりました。
赤に黄色のVラインのゼッケン25番のマシン、1968年日本グランプリにタキレーシングチームからエントリーした、若き日の長谷見昌弘さんがドライブしたマシンそのものです(シャーシナンバーが同じ)。
1968年日本グランプリ、小学6年生だった私はテレビにくぎ付けで観戦しました。当時、わが家に有ったテレビは未だ白黒だったので、このマシンのカラーリングは後日雑誌で見ました。とてもカッコいいカラーリングだと思ったことを憶えています。半世紀前、夢中でテレビの中の姿を眼で追ったレーシングカーを、当時そのままの姿で見ることができたのは、感激でした。
欲を言えば、この日、ニッサンR91CPをドライブした長谷見昌弘さんが、このローラT70MKⅢをドライブする姿を見たかったです。
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他にも数々の1960年代のレーシングカーのデモンストレーションを見ることができました。
1963年日本グランプリ優勝のロータス23。1964年日本グランプリ優勝のポルシェ904。1960年代ホンダSシリーズのシャーシに独自カウルを装着したマクランサ、コニリオ。1967年ルマン24時間レースにブルース・マクラーレン/クリス・エモンのドライブで優勝したフォードGTMkⅡなどなど。
ポルシェ904
1964年日本グランプリで式場壮吉さんがドライブして、生沢徹さんのプリンス・スカイラインGTとデッドヒートを演じて優勝したレーシングカーがポルシェ904です。1964年日本グランプリ優勝マシンは2L水平対向4気筒エンジンを搭載していましたが、イベントに登場したマシンは2L水平対向8気筒エンジン搭載車でした。
フォードGTMkⅡB
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そして、パドックにはイベントでは走ることのなかった、こんなマシンも展示されていました。
ポルシェ906
1967年日本グランプリ、生沢徹さんがドライブして優勝したレーシングカーがポルシェ906です。私がレーシングカーを美しいと思うようになった原点のクルマです。
ポルシェ910
1968年日本グランプリ、タキレーシングチームからエントリーした生沢徹さんがドライブして、5.5LのニッサンR381に次いで2位に入ったレーシングカーがポルシェ910です。生沢徹さん、当時、モータースポーツファンのみならず、若者のヒーローでした。人気は絶大でした。
スカイラインハードトップ2000GTーR
ハコスカの4ドアGT-Rの実戦デビューは1969年、ハードトップGTーRの実戦デビューは1971年でした。ハードトップは4ドアに比べてホイルベースが短く、運動性が向上しました。
紫電77(レプリカ)
1977年富士グランチャンピオンシリーズで高原敬武さんがドライブしました。シャーシデザインはノバの森脇基恭さん、ボディデザインはムーンクラフトの由良拓也さんです。とても、美しいレーシングカーです。
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1960年代のモータースポーツを知る者にとっては、このイベントで見ることのできたレーシングカーのどれもが懐かしく、いにしえの記憶が甦りました。そして、これらのレーシングカーがサーキットを駆け巡った時代、モータースポーツファンのみならず日本人が最もモータースポーツに関心を抱き、熱くなった時代だったのかもしれません。
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パート4に続きます。
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【60’s Racing Car デモンストレーション】
1960年代からモータースポーツに興味があった私が、一番見たかったイベントは実はこれでした。そして、このイベントに登場したレーシングカーの中で最も見たかったのが、ローラT70MKⅢです。
ローラT70MKⅢ
今から50年前、TNT(トヨタ、ニッサン、タキ)の激突となった1968年日本グランプリ、タキレーシンチームから2台のローラT70MKⅢがエントリーしました。ドライバーはゼッケン25番が長谷見昌弘さん、ゼッケン26番が田中健ニ郎さんでした。
予選では高橋国光さん、北野元さんの2台のニッサンR381に一歩及びませんでしたが3位、5位に位置し、決勝では田中健二郎さんのローラT70MKⅢがニッサンR381と序盤トップ争いを演じました。しかし、残念ながら、長谷見昌弘さん、田中健二郎さんの2台ともにトラブルでリタイアという結果に終わりました。
赤に黄色のVラインのゼッケン25番のマシン、1968年日本グランプリにタキレーシングチームからエントリーした、若き日の長谷見昌弘さんがドライブしたマシンそのものです(シャーシナンバーが同じ)。
1968年日本グランプリ、小学6年生だった私はテレビにくぎ付けで観戦しました。当時、わが家に有ったテレビは未だ白黒だったので、このマシンのカラーリングは後日雑誌で見ました。とてもカッコいいカラーリングだと思ったことを憶えています。半世紀前、夢中でテレビの中の姿を眼で追ったレーシングカーを、当時そのままの姿で見ることができたのは、感激でした。
欲を言えば、この日、ニッサンR91CPをドライブした長谷見昌弘さんが、このローラT70MKⅢをドライブする姿を見たかったです。
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他にも数々の1960年代のレーシングカーのデモンストレーションを見ることができました。
1963年日本グランプリ優勝のロータス23。1964年日本グランプリ優勝のポルシェ904。1960年代ホンダSシリーズのシャーシに独自カウルを装着したマクランサ、コニリオ。1967年ルマン24時間レースにブルース・マクラーレン/クリス・エモンのドライブで優勝したフォードGTMkⅡなどなど。
ポルシェ904
1964年日本グランプリで式場壮吉さんがドライブして、生沢徹さんのプリンス・スカイラインGTとデッドヒートを演じて優勝したレーシングカーがポルシェ904です。1964年日本グランプリ優勝マシンは2L水平対向4気筒エンジンを搭載していましたが、イベントに登場したマシンは2L水平対向8気筒エンジン搭載車でした。
フォードGTMkⅡB
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そして、パドックにはイベントでは走ることのなかった、こんなマシンも展示されていました。
ポルシェ906
1967年日本グランプリ、生沢徹さんがドライブして優勝したレーシングカーがポルシェ906です。私がレーシングカーを美しいと思うようになった原点のクルマです。
ポルシェ910
1968年日本グランプリ、タキレーシングチームからエントリーした生沢徹さんがドライブして、5.5LのニッサンR381に次いで2位に入ったレーシングカーがポルシェ910です。生沢徹さん、当時、モータースポーツファンのみならず、若者のヒーローでした。人気は絶大でした。
スカイラインハードトップ2000GTーR
ハコスカの4ドアGT-Rの実戦デビューは1969年、ハードトップGTーRの実戦デビューは1971年でした。ハードトップは4ドアに比べてホイルベースが短く、運動性が向上しました。
紫電77(レプリカ)
1977年富士グランチャンピオンシリーズで高原敬武さんがドライブしました。シャーシデザインはノバの森脇基恭さん、ボディデザインはムーンクラフトの由良拓也さんです。とても、美しいレーシングカーです。
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1960年代のモータースポーツを知る者にとっては、このイベントで見ることのできたレーシングカーのどれもが懐かしく、いにしえの記憶が甦りました。そして、これらのレーシングカーがサーキットを駆け巡った時代、モータースポーツファンのみならず日本人が最もモータースポーツに関心を抱き、熱くなった時代だったのかもしれません。
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エブロ 1/43 ポルシェ904カレラ GTS 日本GP 1964 シルバー 完成品
- 出版社/メーカー: エムエムピー
- メディア: おもちゃ&ホビー
Spark 1/43 Porsche Carrera 6 (906-120) 1966 White 完成品
- 出版社/メーカー: キッドボックス
- メディア: おもちゃ&ホビー
EBRRO 1/43 ポルシェ 910 日本GP 1968 #28 完成品
- 出版社/メーカー: エムエムピー
- メディア: おもちゃ&ホビー
Racing on Archives Vol.12 (NEWS mook)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 三栄書房
- 発売日: 2017/12/28
- メディア: ムック
魂が揺さぶられました [音楽]
11月23日(勤労感謝の日)の夕方、クルマでさいたま新都心のコクーンシティまで出かけました。
コクーンシティに赴いた目的は、MOVIXさいたまで、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観るため。独りで映画を観るのは、1983年「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの復讐(帰還)」以来、35年振りです。
27年前となる1991年11月23日、フレディ・マーキュリーがAIDS患者であるという声明文が発表され、ニュースが世界中を駆け巡りました。その発表の翌日にAIDSによる感染症でフレディ・マーキュリーはこの世を去りました。2日続けて流れたフレディ・マーキュリーのニュースの内容が、初日のニュースでAIDS感染、間髪をいれず翌日のニュースでAIDSによる死去だったことに、とても衝撃を受けたことを今でもよく憶えています。
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クイーンの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」 (Sheer Heart Attack)からシングルカットされたキラー・クイーン(Killer Queen)を聴いて、クイーンの音楽が好きになり、以来、彼らの音楽を聴き続けています。
1975年にリリースされた4枚目のアルバム「オペラ座の夜」(A Night at the Opera)からシングルカットされた、この映画のタイトルともなっている「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)を初めてラジオで聴いた時の衝撃は忘れられません。まさに驚愕のサウンドでした。
これがクイーンの音楽!? かと我が耳を疑いました。フレディ・マーキュリーの情感溢れるボーカル、多重録音による重厚なコーラスと彩に満ちたサウンド、変幻自在で巧みな曲の構成、私は一聴して魅了されてしまいました。無論、「オペラ座の夜」は私の愛聴盤となり、今日まで聴き続けています。そして、その後もクイーンは音楽性を変えつつ、つぎつぎと素晴らしい作品を、世に送り出し続けてくれました。
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映画「ボヘミアン・ラプソディ」、ネタバレになるのであまり記しませんが、リアルタイムでクイーンの音楽に接してきた人にはたまらない映画だと思います。
しかし、この映画のフレディ・マーキュリーを観ていると、孤高の天才音楽家、芸術家であるがゆえの寂しさ、悲しみが伝わってきて、観ていてとてもつらい気持ちになったのは事実です。
そして、20分間の「ライヴエイド」のシーン、凄すぎる! としか言いようがありません。圧倒的な迫力!、鳥肌が立つほどの臨場感!、神が降臨したがごとくのパフォーマンス!、完全にノックアウトされました。まさに、魂が揺さぶられました。
改めてクイーンの音楽の、とてつもないパワー、揺るぎなき存在感、かけがえのない魅力を映画館で実感できました。
全編を通して涙が溢れるシーンが多かったです。映画の後半からは、いくら手で涙を拭っても、もはや流れる涙を止めることができませんでした。平凡な言葉になりますが、とても感動的で素晴らしい映画でした。そして、私が長い人生(?)の中で、最も涙した映画となりました。
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映画のなかのバンドの4人のメンバー、誰もが本人に似ていましたが、私にはブライアン・メイが、とりわけ本人に似ていたように思います。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て、クイーンの音楽、そしてロックをますます好きになってしまいました。そして、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスをこの眼で見る機会を作らなかったことが、とても悔やまれてしまいます。
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23年ぶりに(パート2) [つれづれ日記]
私が「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、特に注目した4つのイベントについて記事、パート2です。
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【Group C デモンストレーション】
私が最も好きなレーシングカーはいわゆるスポーツプロトタイプカーなので、グループCはとても興味のあるカテゴリーです。定番(?)のポルシェ962C、ニッサンワークスのニッサンR90CK、ニッサンR91CP、ロータリーでルマンウィナーとなったマツダ787B、1992年・93年のルマンウィナーでNA3.5Lのプジョー905など、スポーツプロトタイプカー好きには堪えられないラインナップです。
ポルシェ962C
JSPCで大活躍したアドバンカラーのマシンです。ロスマンズカラーのワークスマシンが1986年・87年のルマンを制しました。1981年から87年までポルシェはルマンで7連勝、表彰台の中央はポルシェの指定席でした。
マーチ83G/ニッサン(シルビア・ターボC)
マーチ86G/ニッサン(ニッサンR86V)
ニッサンR90CK
ニッサンR91CP
ニッサンの歴代のグループCカーです。
当初、ニッサンのグループCカーのシャーシはマーチ製でしたが、1989年のニッサンR89Cからローラ製となり、1991年のニッサンR91CPからは国産となりました。
私はニッサンが本気で勝負を掛けた1990年のルマン24時間レースが思いだされます。ニッサンワークスは欧州チーム、米国チーム、日本チームの5台のワークスカー(R90CK :4台、R90CP :1台)をエントリー、1200馬力以上と言われた予選用エンジンを組み込んだ欧州チームのニッサンR90CKが圧倒的な速さでポールポジションを獲得、決勝への期待が高まりました。しかし、数々のトラブルに見舞われて、日本チーム(NISMO)のニッサンR90CPの5位が最高位という結果に終わりました。
ニッサンR91CPは1992年デイトナ24時間レースに長谷見昌弘さん/星野一義さん/鈴木利男さんの日本人トリオのドライブで優勝しました。デモンストレーションランでドライブしたのは長谷見昌弘さんでした。
マツダ787B
最もグリッド上で多くの人に囲まれていたグループCカーでした。
1991年のルマン24時間レース、本命だったメルセデス、ジャガーのワークスチームを相手に優勝したときの衝撃というか驚きは忘れられません。私は当然(?)、メルセデスが優勝して、上位をメルセデスとジャガーが独占するものと思っていました。しかし、マツダ787Bは快走を続け、名門2大ワークスを退けてルマンの歴史にマツダの名が刻まれました。ロータリーエンジン車が参加できる最後のルマンで掴みとった栄冠でした。
テレビ中継を嫁さんと二人で観ていましたが、マツダ787Bがゴールしたときに私は「ロータリーがルマンに勝った・・・」とため息が出るようにつぶやいて、ついに国産車がルマンの頂点に立ったことが感無量で、そのあと言葉が出なかったことを憶えています。
イベントに参加していたのはルマン仕様ではなく、日本国内のグループCカーレースであるJSPC仕様のマシンです。デモンストレーションランでドライブしたのはミスタールマン寺田陽次郎さんでした。
プジョー905
ターボカー時代のグループCカーとは全く別のカテゴリのクルマと言っていいほど進化(?)している印象です。まさに、クローズドボディのF1といった感があります。
MCSグッピー
由良拓也さんのムーンクラフト社製のC2カテゴリーマシンです。
ベントレー・スピード8
グループCカーではなくLMGTPクラスですが、パドックではこんなマシンも見ることができました。2003年のルマンを制しました。
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【Group C デモンストレーション】
私が最も好きなレーシングカーはいわゆるスポーツプロトタイプカーなので、グループCはとても興味のあるカテゴリーです。定番(?)のポルシェ962C、ニッサンワークスのニッサンR90CK、ニッサンR91CP、ロータリーでルマンウィナーとなったマツダ787B、1992年・93年のルマンウィナーでNA3.5Lのプジョー905など、スポーツプロトタイプカー好きには堪えられないラインナップです。
ポルシェ962C
JSPCで大活躍したアドバンカラーのマシンです。ロスマンズカラーのワークスマシンが1986年・87年のルマンを制しました。1981年から87年までポルシェはルマンで7連勝、表彰台の中央はポルシェの指定席でした。
マーチ83G/ニッサン(シルビア・ターボC)
マーチ86G/ニッサン(ニッサンR86V)
ニッサンR90CK
ニッサンR91CP
ニッサンの歴代のグループCカーです。
当初、ニッサンのグループCカーのシャーシはマーチ製でしたが、1989年のニッサンR89Cからローラ製となり、1991年のニッサンR91CPからは国産となりました。
私はニッサンが本気で勝負を掛けた1990年のルマン24時間レースが思いだされます。ニッサンワークスは欧州チーム、米国チーム、日本チームの5台のワークスカー(R90CK :4台、R90CP :1台)をエントリー、1200馬力以上と言われた予選用エンジンを組み込んだ欧州チームのニッサンR90CKが圧倒的な速さでポールポジションを獲得、決勝への期待が高まりました。しかし、数々のトラブルに見舞われて、日本チーム(NISMO)のニッサンR90CPの5位が最高位という結果に終わりました。
ニッサンR91CPは1992年デイトナ24時間レースに長谷見昌弘さん/星野一義さん/鈴木利男さんの日本人トリオのドライブで優勝しました。デモンストレーションランでドライブしたのは長谷見昌弘さんでした。
マツダ787B
最もグリッド上で多くの人に囲まれていたグループCカーでした。
1991年のルマン24時間レース、本命だったメルセデス、ジャガーのワークスチームを相手に優勝したときの衝撃というか驚きは忘れられません。私は当然(?)、メルセデスが優勝して、上位をメルセデスとジャガーが独占するものと思っていました。しかし、マツダ787Bは快走を続け、名門2大ワークスを退けてルマンの歴史にマツダの名が刻まれました。ロータリーエンジン車が参加できる最後のルマンで掴みとった栄冠でした。
テレビ中継を嫁さんと二人で観ていましたが、マツダ787Bがゴールしたときに私は「ロータリーがルマンに勝った・・・」とため息が出るようにつぶやいて、ついに国産車がルマンの頂点に立ったことが感無量で、そのあと言葉が出なかったことを憶えています。
イベントに参加していたのはルマン仕様ではなく、日本国内のグループCカーレースであるJSPC仕様のマシンです。デモンストレーションランでドライブしたのはミスタールマン寺田陽次郎さんでした。
プジョー905
ターボカー時代のグループCカーとは全く別のカテゴリのクルマと言っていいほど進化(?)している印象です。まさに、クローズドボディのF1といった感があります。
MCSグッピー
由良拓也さんのムーンクラフト社製のC2カテゴリーマシンです。
ベントレー・スピード8
グループCカーではなくLMGTPクラスですが、パドックではこんなマシンも見ることができました。2003年のルマンを制しました。
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イグニッションモデル 1/43 ポルシェ 962C #17 1987 ルマン IG0505 完成品
- 出版社/メーカー: イグニッションモデル(ignitionmodel)
- メディア: おもちゃ&ホビー
Qモデル 1/43 日産 R90CK 1990 ルマン24H #84 S.ミレン/M.ロウ/B.アール 完成品
- 出版社/メーカー: インターアライド
- メディア: おもちゃ&ホビー
トミカリミテッドヴィンテージ ネオ 1/64 マツダ787B 1991 ル・マン優勝車 (メーカー初回受注限定生産) 完成品
- 出版社/メーカー: トミーテック(TOMYTEC)
- メディア: おもちゃ&ホビー
23年ぶりに(パート1) [つれづれ日記]
11月18日(日)
早朝、大阪難波で近鉄特急アーバンライナープラスに乗車、1時間40分弱の乗車ののち、近鉄名古屋線白子駅に降り立ちました。
近鉄22600系 新塗装車
白子駅に降り立つのは23年振りです。23年前に白子駅を利用した目的は、1995年日本グランプリの予選、決勝の観戦でした。
1995年日本グランプリ、優勝はミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)、2位がミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)でした。個人的にはハッキネン、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)を応援していたので、シューマッハの優勝で終わったのはちょっぴり残念でした。
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今回、白子駅に降り立った目的は11月17日・18日に鈴鹿サーキットで開催されるヒストリックカーイベント「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」に行くため。四捨五入すると半世紀の付き合いとなるモータースポーツ好きの友人と白子駅で待ち合わせです。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、私が特に注目した4つのイベントについての記事、そのパート1です。
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【Legend of Formula 1 デモンストレーション】
最も観客の注目を集めていたのはフェラーリの2台(フェラーリF2005、フェラーリF10)でした。グリッド上でマシンを取り囲む人数が圧倒的に多かったです。
フェラーリF10
私的には、1970年、ヨッヘン・リントがドライブしてワールドチャンピオンに輝いたゴールドリーフカラーのロータス72Cを見ることができたのが、何より嬉しかったです。ロータス72Cを駆ったヨッヘン・リントは4勝をあげましたがイタリアグランプリの予選で事故死、彼の死後にワールドチャンピオンが決定しました。ロータスのF1マシンというと、真っ先にJPSカラーよりゴールドリーフカラーのマシンが頭に浮かぶのは、もはや私が歳をとりすぎていることの証明ですね。
ロータス72C
ロータス72は様々な新機軸が盛り込まれた革新的なレーシングカーでした。1972年には、エマーソン・フィッティパルディがJPSカラーのロータス72Dをドライブして、史上最年少(当時)のワールドチャンピオンに輝きました。
1974年にデビューした後継のロータス76は初の電磁クラッチを採用した画期的なマシンでしたが失敗作に終わり、再びロータス72が実戦投入され、結局、1975年シーズン終了までの長きにわたり走り続けました。
フォード・コスワースDFV
1960年代末から1980年代初頭までF1で155勝は金字塔、F1の歴史そのものといえるレージングエンジンです。私の記憶ではルマン24時間レースも2回制覇しています(1975年:ガルフミラージュGR8、1980年:ロンドーM379)。
マセラティV12
1967年、このエンジンを搭載したクーパーT86をヨッヘン・リントがドライブしました。
ロータス101
1989年にネルソン・ピケ、中島悟がドライブしました。
AGS JH23
私の記憶からは、すでに消えていたマシンです。
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パート2に続きます。
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近鉄22600系 新塗装車
白子駅に降り立つのは23年振りです。23年前に白子駅を利用した目的は、1995年日本グランプリの予選、決勝の観戦でした。
1995年日本グランプリ、優勝はミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)、2位がミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)でした。個人的にはハッキネン、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)を応援していたので、シューマッハの優勝で終わったのはちょっぴり残念でした。
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今回、白子駅に降り立った目的は11月17日・18日に鈴鹿サーキットで開催されるヒストリックカーイベント「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」に行くため。四捨五入すると半世紀の付き合いとなるモータースポーツ好きの友人と白子駅で待ち合わせです。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、私が特に注目した4つのイベントについての記事、そのパート1です。
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【Legend of Formula 1 デモンストレーション】
最も観客の注目を集めていたのはフェラーリの2台(フェラーリF2005、フェラーリF10)でした。グリッド上でマシンを取り囲む人数が圧倒的に多かったです。
フェラーリF10
私的には、1970年、ヨッヘン・リントがドライブしてワールドチャンピオンに輝いたゴールドリーフカラーのロータス72Cを見ることができたのが、何より嬉しかったです。ロータス72Cを駆ったヨッヘン・リントは4勝をあげましたがイタリアグランプリの予選で事故死、彼の死後にワールドチャンピオンが決定しました。ロータスのF1マシンというと、真っ先にJPSカラーよりゴールドリーフカラーのマシンが頭に浮かぶのは、もはや私が歳をとりすぎていることの証明ですね。
ロータス72C
ロータス72は様々な新機軸が盛り込まれた革新的なレーシングカーでした。1972年には、エマーソン・フィッティパルディがJPSカラーのロータス72Dをドライブして、史上最年少(当時)のワールドチャンピオンに輝きました。
1974年にデビューした後継のロータス76は初の電磁クラッチを採用した画期的なマシンでしたが失敗作に終わり、再びロータス72が実戦投入され、結局、1975年シーズン終了までの長きにわたり走り続けました。
フォード・コスワースDFV
1960年代末から1980年代初頭までF1で155勝は金字塔、F1の歴史そのものといえるレージングエンジンです。私の記憶ではルマン24時間レースも2回制覇しています(1975年:ガルフミラージュGR8、1980年:ロンドーM379)。
マセラティV12
1967年、このエンジンを搭載したクーパーT86をヨッヘン・リントがドライブしました。
ロータス101
1989年にネルソン・ピケ、中島悟がドライブしました。
AGS JH23
私の記憶からは、すでに消えていたマシンです。
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エブロ 1/20 ロータス タイプ 72C 1970 プラモデル 20001
- 出版社/メーカー: エムエムピー
- メディア: おもちゃ&ホビー
F1全史 1971‐1975―名手スチュワートの退場 若手精鋭たちの新時代 第4集
- 作者: 林 信次
- 出版社/メーカー: 三栄書房
- 発売日: 1993/12/01
- メディア: 単行本
Andante Cantabile [音楽]
私は日本の歌以外、あらゆるジャンルの音楽を聴きます。
10代のころはRock/Pops、20代のころはJazz/Fusion、30代前半は交響曲、(狭義の)管弦楽曲を中心にClassical Musicに心酔していました。その後は特にジャンルを問わず、Bossa Nova、Easy Listening、New Age musicなどにも手を伸ばして、多様な音楽を聴いてきました。但し、基本的に、ごく一部の例外を除いては、日本の歌を聴くことはないです。
しかし、この5,6年、原点回帰というか、Jazz/FusionとClassical Musicをあまり聴かなくなり、Rock/Popsをメインに聴くようになりました。特にClassical Musicとは疎遠になり、Classical MusicのCDは滅多に購入することはなくなりました。
しかし、突然、Classical Musicの特定の楽曲が聴きたくなることがあります。
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11月になってチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」が無性に聴きたくなりました。ちなみに「アンダンテ・カンタービレ」はチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番 第2楽章の通称で、“ゆっくりと歌うように”という意味の音楽用語です。
私の「アンダンテ・カンタービレ」の愛聴盤CDは、エマーソン弦楽四重奏団による「チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』、ボロディン:弦楽四重奏曲第2番」 (独グラモフォン)とサウリュス・ソンデツキス/リトアニア室内管弦楽団による「チャイコフスキー:弦楽セレナーデ、アンダンテ・カンタービレ」(サクランボウ)の2枚です。特に弦楽オーケストラ版の後者のCDは、厚みと透明感のある演奏で大好きです。
私は、さいたまと大阪、そしてクルマのなかで聴くCDを物理的に全て分けるという変な拘りが有り、上記の2枚のCDはさいたまにあるため、大阪で「アンダンテ・カンタービレ」を聴くCDを物色しました。
正統的な弦楽四重奏による演奏でなく、弦楽オーケストラによる演奏のCDをネットで物色して、目に留まったのが佐渡裕/トーンキュンストラ―管弦楽団による「弦楽セレナード~弦楽のための作品集」(avex CLASSICS)でした。
先日、配達されたので早速聴いてみました。このCDには「アンダンテ・カンタービレ」の他にタイトルとなっているチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」、芥川也寸志「弦楽のためのトリプティク」、レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア」が収められています。
聴いてみて、どの曲の演奏、音色ともに、温かみがあり穏やかで柔和な印象を受けました。「アンダンテ・カンタービレ」」を聴いていると、何か初夏の高原の木洩れ日の下でまどろんでいるような、くつろいだ感覚に浸るができました。「弦楽セレナード」、「アンダンテ・カンタービレ」ともに、先に記したサウリュス・ソンデツキス/リトアニア室内管弦楽団のCDの鮮烈で透明感、清涼感のある、少し厳しさが感じられる演奏、音色とは対極的な印象を持ちました。どちらかというと、サウリュス・ソンデツキス/リトアニア室内管弦楽団のCDの演奏のほうが、私の好みです。
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私が「アンダンテ・カンタービレ」を初めて耳にしたのは、小学校6年生の2学期でした。2学期の寒くなった頃から小学校を卒業するまでの間、登校時に校庭のスピーカーから「アンダンテ・カンタービレ」が流れていました。その頃は、あまり音楽全般に対して関心がなかったのですが、この曲の美しい旋律は強く印象に残りました。しかし、曲名、作曲者を無論、知る由もありませんでした。
この楽曲が、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」だと知ったのは、それから約30数年後、池辺晋一郎さんと檀ふみさんが司会の時代の『N響アワー』で、N響による演奏を聴いた時でした。昔のことで記憶が定かではありませんが、指揮はヘルベルト・ブロムシュテットさんだったように思います。曲名が解って、すぐに「アンダンテ・カンタービレ」が収録されたCDを何枚か買い求めました。
他にも、若かりし頃に聴いた美しい旋律の楽曲で30年近く経ってから曲名、作曲者が解った曲があります。それは、ボロディン作曲の「イーゴリ公」より「ダッタン人の踊り」です。偶然にも石丸電気レコードセンターのクラシックのフロアでCDを物色しているときに、「ダッタン人の踊り」が収録されたBONDのCD「Shine」が掛っていて、曲名と作曲者を初めて知ることができました。
頭に旋律は浮んでも曲名が解らない Classical Musicの楽曲がたくさんあるように思います。しらみつぶしにYouTubeをチェックすれば曲名が解るのかも知れませんが、そこまでする気力が無いのは事実です。曲名の解明は偶然に期待するしかないですね。。。
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- アーティスト: Gavyn Wright,Guy Pratt,Stuart Crichton,Karl Jenkins,Astor Piazzolla
- 出版社/メーカー: Decca
- 発売日: 2002/10/15
- メディア: CD
タグ:Pops avex CLASSICS jazz Rock fusion Bossa Nova Easy Listening NEW AGE MUSIC チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ エマーソン弦楽四重奏団 ドヴォルザーク ボロディン 弦楽四重奏曲 独グラモフォン サウリュス・ソンデツキス リトアニア室内管弦楽団 弦楽セレナーデ サクランボウ CD 弦楽オーケストラ 佐渡裕 トーンキュンストラ―管弦楽団 芥川也寸志 弦楽のためのトリプティク レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア N響アワー 池辺晋一郎 檀ふみ ヘルベルト・ブロムシュテット イーゴリ公 ダッタン人の踊り bond SHINE YouTube 交響曲 管弦楽曲
東京ドーム 11月1日 [音楽]
2017年4月29日、同じ東京ドーム公演(↓)から1年6か月、、、また、ポールに会うことができました。
https://shibatetsu.blog.so-net.ne.jp/2017-04-30
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オープニングの
A Hard Days Night
から
The End
まで
最新作「Egypt Station」から
Who Cares
Come On to Me
Fuh You
の3曲を含む全37曲、あっという間のひと時でした。
1年6か月前のコンサートでは、やや調子が悪かったのかポールの声に衰えを感じましたが、今回のポールはとても溌剌とした張りのある声で、76歳の年齢を全く感じさせませんでした。
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前日、10月31日のコンサートのセットリストを頭に入れて行ったのですが、演奏の順番を含めセットリストは大きく変更になっていました。
Wings全盛時代のヒット曲で私が大好きな
Junior's Farm
がセットリストに加わったのは嬉しいことでしたが、なんと
Yesterday
はセットリストからは外されていました。今回でポールのコンサートは5回目でしたが、Yesterdayを聴くことができなかったのは、初めてです。
The Beatlesの曲が20曲以上演奏されたので、彼らの曲を聴いて音楽への興味を懐くようになった私的には、いにしえの日々を懐かしむことができました。
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特に私が感動した曲を3曲、ピックアップすると
Love Me Do
ポールの溌剌とした歌声で、若き日のThe Beatlesを思い起こさせてくれました。
Band on the Run
巧みな構成のこの曲、いつ聴いても素晴らしいです。曲と演奏の素晴らしさで、思わず涙が出ました。
Let it Be
この曲が演奏されたとき、東京ドームの空気感が何か変わったように思えました。この曲と歌詞にオーディエンスの心が共鳴したのかもしれません。今でもポール自身が歌うこの曲を聴けたことで、胸が熱くなり涙が出ました。
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今回のポールのコンサート、1年6か月前のコンサートと比較して、何か、東京ドームのオーディエンスが少し冷めているように感じました。前回の会場の雰囲気はもっと熱かったです。
そして、私個人的には、誰が何といっても、やはり
Yesterday
を聴きたかったです。正直、今回のコンサートでも当然聴けると思っていたの、コンサートが終わって拍子抜けした感があったのは事実です。
少し、肩透かしを食った感のある今回のコンサートでしたが、再び、ポールが来日してくれたら、もちろんまた会いに行きます。ポールは神ですから!
ポール、次回は是非
Yesterday
聴かせてください!!
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