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いにしえの記憶第2章(その18) [いにしえの記憶]

DEL_20_アドバン・ポルシェ - コピー.jpg

過ぎ去った日々に徐々に埋もれていく、遠い日のいにしえの記憶

高橋国光さんが3月16日に亡くなったとの悲しいニュースが流れました。

日本のモータースポーツ黎明期から活躍してきたレーサー(レーシングドライバー)高橋国光さんについて、私のいにしえの記憶を少し記してみます。

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先ず思い浮かぶのは、ニッサンワークスチームの一員としてR38シリーズをドライブした1960年代の日本グランプリの記憶です。

DEL_日本グランプリ - コピー.jpg

第4回日本グランプリ(1967)、決勝レース序盤、トップを走行する生沢徹の白いポルシェ906と2番手を走行する高橋国光の赤いニッサンR380のデッドヒート。高橋国光は生沢徹を追い詰め、生沢徹のポルシェ906はS字コーナーで堪えきれずスピンしてコースアウト、巻き込まれた高橋国光のニッサンR380もコースアウト。2車ともにエンジンストールしましたが、生沢徹のポルシェ906は素早く再始動してレース復帰、高橋国光のニッサンR380は再始動に手間取り周回遅れに。
優勝は生沢徹、高橋国光は同一周回に戻したものの2位に終わりました。

第5回日本グランプリ(1968)、高橋国光は左右分割式のエアロスタビライザーを備えた“怪鳥”ニッサンR381をドライブして、予選でポールポジションを獲得。決勝レース序盤、北野元のニッサンR381、田中健二郎のローラT70MkⅢとトップ争いを演じ、北野元のニッサンR381をかわしてトップに立ちましたが、駆動系(リアハブ)のトラブルで後退、リタイア。
優勝は北野元、タキ・レーシングチームからエントリーしたポルシェ910をドライブする生沢徹が2位に入りました。

第6回日本グランプリ(1969)、決勝レース序盤、川合稔のドライブするトヨタ7(5L)、ジョー・シフェールのドライブするポルシェ917と高橋国光のドライブするニッサンR382がトップを争い、一時、高橋国光はトップに立ったものの、エンジン(インジェクション)の不調でピットインして後退、結果10位に終わりました。
因みに、優勝は黒沢元治、2位は北野元のニッサンR382がワンツーフィニッシュ、3位は川合稔のトヨタ7でした。

日本グランプリ優勝のチャンスを3回逃し、この頃から高橋国光は、“無冠の帝王”と呼ばれるようになりました。

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次に思い浮かぶのは、1970年代、酒井レーシングからエントリーした富士グランチャンピオンシリーズ(グラチャン)での記憶です。

高橋国光のグラチャンデビューは1973年の第4戦富士インター200マイルレースでした。ミノルタカラーのマーチ735BMWをドライブして3位となりました。2ヒート制レースの第2ヒート終盤、3位を走るチームオーナーの酒井正に2位の座を譲ってランデブー走行でチェッカーを受けました。黄色いミノルタカラーのマーチ735BMWが連なって走行するシーンが今でも強烈に印象に残っています。
因みに、優勝はヒーローズレーシングからエントリーした、黒沢元治がドライブするマーチ735BMWでした。

高橋国光のグラチャン初優勝は、1974年の第2戦富士グラン300キロレースです。1974シーズンから由良卓也氏がデザインしたロングテールボディに換装したマーチ735BMWで、2ヒート制レースの第1ヒートを制しました。そして、運命の第2ヒート、ローリングスタート直後、黒沢元治の犯罪行為そのものと言える愚行が原因となった多重衝突事故により、風戸裕(シェブロンB26BMW)、鈴木誠一(ローラT292BDA)の両ドライバーが焼死、第2ヒートは中止されました。
第1ヒートの結果が、そのままレースの最終結果となり、優勝は高橋国光、2位が黒沢元治(マーチ745BMW)、3位が北野元(マーチ735BMW)となりました。

富士スピードウェイの名物だった30度バンクを使った最後のレースを制したのが高橋国光でした。

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・ニッサンワークス時代、伝説となったスカイライン2000GT-R(ハコスカ)での活躍

・1977年F1日本グランプリ、ティレル007での力走

・全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)、アドバン・ポルシェ956/962Cでの圧倒的な強さ

・全日本ツーリングカー選手権(JTC)、アドバン・スカイラインGT-R(R32)での活躍

・ルマン24時間レース、ポルシェ956/962C、ホンダNSXでの挑戦

高橋国光さんのレースでの活躍の記憶、書き始めるときりがありません。高橋国光さんは、数多くのレースで輝かしい活躍を見せてくれて、モータースポーツファンの心を捉えて離しませんでした。

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私がモータースポーツに興味を持った1960年代、寧ろ、今日よりも世間一般の人々のモータースポーツへの関心は高かったと思います。レーサーの名前も世間に浸透し、自動車雑誌以外でもレーサーの話題が誌面を賑わせていました。そして、毎週末のようにレースやジムカーナのテレビ番組が放送されていました。

私の小学校の卒業アルバム、卒業文集に将来なりたい職業にレーサー、将来の夢は日本グランプリ優勝と書くクラスメイトが何人も居ました。

高橋国光さんの訃報を耳にして、いにしえのモータースポーツシーンを懐かしむ自分が居ました。

今頃、天国で、高橋国光さんは師匠だった田中健二郎さんと昔話に花を咲かせいるかもしれません・・・

高橋国光さんのご冥福を心よりお祈りします。


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コメント 8

shiho

国さんの訃報…ショックです。
ファン歴30年以上なので、とっても悲しいです。
by shiho (2022-03-18 21:16) 

こんちゃん

正直この方を存じ上げませんでした
モータースポーツが流行ったのはもう少し後の時代なので
でもファンの方にしたらショックなんでしょうね
by こんちゃん (2022-03-19 08:01) 

ハイマン

国さんの笑顔 すごく好きでした
日本のMSを牽引した一人が・・・・・・・残念です
by ハイマン (2022-03-20 08:33) 

芝浦鉄親父

shihoさま、おはようございます。
国さんの長年にわたるレーシングドライバー、そしてチーム監督としての活躍、まさに日本のモータースポーツの歴史そのものですね。
これからも、日本のモータースポーツの発展を天国から見守ってくれると思います。。。
by 芝浦鉄親父 (2022-03-21 09:35) 

芝浦鉄親父

こんちゃん様、おはようございます。
高橋国光さんは1999年にレーシングドライバーを引退、以降はチーム監督として活躍されていました。
私の世代では、高橋国光さんと言えば真っ先に、1960年代から70年代のニッサンワークス時代の活躍を思い起こす人が多いかも知れません。
by 芝浦鉄親父 (2022-03-21 09:44) 

芝浦鉄親父

ハイマンさま、おはようございます。
国さんがインタビューに応えるときの、にこやかな笑顔、そして優しい語り口、国さんの人柄の温かさが偲ばれますね。
国さんは、まさに日本のモータースポーツの歴史そのものでした。レジェンドの訃報、本当に残念です。。。
by 芝浦鉄親父 (2022-03-21 09:53) 

Rchoose19

おはようございます。
リアル活躍当時は拝見していませんが
お名前とお顔は充分存じ上げております!
そうですかぁ・・・亡くなられたんですね・・・
ご冥福をお祈りいたします。
by Rchoose19 (2022-03-23 08:06) 

芝浦鉄親父

Rchoose19さま、おはようございます。
国さん、“ドリキン”土屋圭市さんの憧れのドライバーでした。
高橋国光さんと土屋圭市さんのコンビがドライブしたスカイラインGT-Rが全日本ツーリングカー選手権のレースで優勝したとき、土屋圭市さんが感極まって男泣きしたことをよく憶えています。
国さんのご冥福を心よりお祈りします。
by 芝浦鉄親父 (2022-03-23 08:25) 

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