23年ぶりに(パート1) [つれづれ日記]
11月18日(日)
早朝、大阪難波で近鉄特急アーバンライナープラスに乗車、1時間40分弱の乗車ののち、近鉄名古屋線白子駅に降り立ちました。

近鉄22600系 新塗装車
白子駅に降り立つのは23年振りです。23年前に白子駅を利用した目的は、1995年日本グランプリの予選、決勝の観戦でした。
1995年日本グランプリ、優勝はミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)、2位がミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)でした。個人的にはハッキネン、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)を応援していたので、シューマッハの優勝で終わったのはちょっぴり残念でした。
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今回、白子駅に降り立った目的は11月17日・18日に鈴鹿サーキットで開催されるヒストリックカーイベント「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」に行くため。四捨五入すると半世紀の付き合いとなるモータースポーツ好きの友人と白子駅で待ち合わせです。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、私が特に注目した4つのイベントについての記事、そのパート1です。
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【Legend of Formula 1 デモンストレーション】
最も観客の注目を集めていたのはフェラーリの2台(フェラーリF2005、フェラーリF10)でした。グリッド上でマシンを取り囲む人数が圧倒的に多かったです。

フェラーリF10
私的には、1970年、ヨッヘン・リントがドライブしてワールドチャンピオンに輝いたゴールドリーフカラーのロータス72Cを見ることができたのが、何より嬉しかったです。ロータス72Cを駆ったヨッヘン・リントは4勝をあげましたがイタリアグランプリの予選で事故死、彼の死後にワールドチャンピオンが決定しました。ロータスのF1マシンというと、真っ先にJPSカラーよりゴールドリーフカラーのマシンが頭に浮かぶのは、もはや私が歳をとりすぎていることの証明ですね。

ロータス72C
ロータス72は様々な新機軸が盛り込まれた革新的なレーシングカーでした。1972年には、エマーソン・フィッティパルディがJPSカラーのロータス72Dをドライブして、史上最年少(当時)のワールドチャンピオンに輝きました。
1974年にデビューした後継のロータス76は初の電磁クラッチを採用した画期的なマシンでしたが失敗作に終わり、再びロータス72が実戦投入され、結局、1975年シーズン終了までの長きにわたり走り続けました。

フォード・コスワースDFV
1960年代末から1980年代初頭までF1で155勝は金字塔、F1の歴史そのものといえるレージングエンジンです。私の記憶ではルマン24時間レースも2回制覇しています(1975年:ガルフミラージュGR8、1980年:ロンドーM379)。

マセラティV12
1967年、このエンジンを搭載したクーパーT86をヨッヘン・リントがドライブしました。

ロータス101
1989年にネルソン・ピケ、中島悟がドライブしました。

AGS JH23
私の記憶からは、すでに消えていたマシンです。
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パート2に続きます。

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早朝、大阪難波で近鉄特急アーバンライナープラスに乗車、1時間40分弱の乗車ののち、近鉄名古屋線白子駅に降り立ちました。

近鉄22600系 新塗装車
白子駅に降り立つのは23年振りです。23年前に白子駅を利用した目的は、1995年日本グランプリの予選、決勝の観戦でした。
1995年日本グランプリ、優勝はミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)、2位がミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)でした。個人的にはハッキネン、ジャン・アレジ(フェラーリ)、ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)を応援していたので、シューマッハの優勝で終わったのはちょっぴり残念でした。
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今回、白子駅に降り立った目的は11月17日・18日に鈴鹿サーキットで開催されるヒストリックカーイベント「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」に行くため。四捨五入すると半世紀の付き合いとなるモータースポーツ好きの友人と白子駅で待ち合わせです。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2018」で、私が特に注目した4つのイベントについての記事、そのパート1です。
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【Legend of Formula 1 デモンストレーション】
最も観客の注目を集めていたのはフェラーリの2台(フェラーリF2005、フェラーリF10)でした。グリッド上でマシンを取り囲む人数が圧倒的に多かったです。

フェラーリF10
私的には、1970年、ヨッヘン・リントがドライブしてワールドチャンピオンに輝いたゴールドリーフカラーのロータス72Cを見ることができたのが、何より嬉しかったです。ロータス72Cを駆ったヨッヘン・リントは4勝をあげましたがイタリアグランプリの予選で事故死、彼の死後にワールドチャンピオンが決定しました。ロータスのF1マシンというと、真っ先にJPSカラーよりゴールドリーフカラーのマシンが頭に浮かぶのは、もはや私が歳をとりすぎていることの証明ですね。

ロータス72C
ロータス72は様々な新機軸が盛り込まれた革新的なレーシングカーでした。1972年には、エマーソン・フィッティパルディがJPSカラーのロータス72Dをドライブして、史上最年少(当時)のワールドチャンピオンに輝きました。
1974年にデビューした後継のロータス76は初の電磁クラッチを採用した画期的なマシンでしたが失敗作に終わり、再びロータス72が実戦投入され、結局、1975年シーズン終了までの長きにわたり走り続けました。

フォード・コスワースDFV
1960年代末から1980年代初頭までF1で155勝は金字塔、F1の歴史そのものといえるレージングエンジンです。私の記憶ではルマン24時間レースも2回制覇しています(1975年:ガルフミラージュGR8、1980年:ロンドーM379)。

マセラティV12
1967年、このエンジンを搭載したクーパーT86をヨッヘン・リントがドライブしました。

ロータス101
1989年にネルソン・ピケ、中島悟がドライブしました。

AGS JH23
私の記憶からは、すでに消えていたマシンです。
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エブロ 1/20 ロータス タイプ 72C 1970 プラモデル 20001
- 出版社/メーカー: エムエムピー
- メディア: おもちゃ&ホビー

F1全史 1971‐1975―名手スチュワートの退場 若手精鋭たちの新時代 第4集
- 作者: 林 信次
- 出版社/メーカー: 三栄書房
- 発売日: 1993/12/01
- メディア: 単行本
市販車だけでなくF1も昔はヨカッタ!という私です。
by hanamura (2018-11-22 05:32)
hanamuraさま、こんにちは。
おっしゃるとおり、いにしえの市販車、レーシングカーはかっこよくて、魅力的でした。
特に1960年代・70年代の国産車、決して欧州車のまねではなく、日本車独特のアイデンティティが感じられて、存在感がありました。
by 芝浦鉄親父 (2018-11-22 12:27)