1994年5月1日 [つれづれ日記]

23年前の1994年5月1日、モータースポーツファンにとっては、とても悲しくて、つらい、忘れられない日です。
イモラ・サーキットでのサンマリノ・グランプリの決勝、2番手のミハエル・シューマッハのベネトン・フォードを従え、トップを走行していた、アイルトン・セナのウィリアムズ・ルノーがタンブレロ・コーナーでコースアウト、アイルトン・セナは命を落としました。
フジテレビのF1中継が、いきなりセナの事故を伝える三宅アナウンサーの実況中継で始まり、番組中でセナの死亡が伝えられました(※中継のスタートは、日本時間で5月2日に日付が変わってからだったと思います)。
セナのファンだった嫁さんと二人で、F1中継を観ていました。事故の映像から、セナの生存は厳しいことは解ってはいましたが、実際にセナの死亡が伝えられた時のショックははかりしれず、放心状態に陥ったように、お互い声を出すことが出来ませんでした。しばらくして、私が「セナ、死んじゃったね・・・」と絞り出すように声をだすのが、やっとでした。。。
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前年の日本グランプリの予選、決勝は鈴鹿にいました。決勝はスプーンカーブで観ていたのですが、雨の鈴鹿、セナのマルボロカラーのマクラーレン・フォードの鋭い、水澄ましのような走りは他のマシンを圧倒していて、一人、異次元の速さでした。「雨のセナ」の凄さを目の当たりにしました。。。
セナのウィニングランに拍手をしながら、セナの黄色いヘルメットに、とても、よくマッチしていたマルボロカラーのマクラーレンをドライビングする姿が、日本で観られるのもこれが最後かぁ・・・・・、と、ちょっぴり寂しい感じを抱いたことを憶えています。
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フジテレビのF1中継の後、嫁さんとセナの話は全くしませんでした、、、何か触れてはいけないような気がしたからです。
数日後に嫁さんが突然、「セナに会いに青山に行きたい」と言い出しました。ホンダウェルカムプラザ青山に1992年にセナがドライブした、マクラーレンMP4/7Aをはじめ、セナゆかりの品々、写真が展示され、追悼のための記帳台が設けられていたからです。
息子がまだ一歳前だったのですが、息子を嫁さんの実家にあずけて、青山まで嫁さんと二人で出向きました。
嫁さんが写真を撮りたいと言ったので、ウェルカムプラザ近くのコンビニで「レンズ付フィルム」を購入して、ウェルカムプラザの中へ。マシン、本田総一郎と一緒に写った写真、ヘルメット、トロフィーなどなど、セナを偲ぶもので溢れていて、大勢のファンが見入っていました。。。

セナゆかりの品々を見終ったあと、設けられていた記帳台に置かれた芳名帖に、セナへの追悼のメッセージを記帳しました。「あなたの勇姿は、全てのモータースポーツ・ファンの胸の中で、いつまでも走り続けることでしょう」、昔のことで一字一句まで正確ではないかも知れませんが、こんなメッセージを書いて、署名、住所を記しました。
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それから、しばらく経って、本田技研工業株式会社から封書が届きました。当時はホンダ車に乗っていたので、てっきりリコール通知でも来たのかな(?)、と思い封を切りました。
封を切って中身を確認すると、一通のレターにカラーとモノクロのセナのポートレイトのポストカードが3枚添えられていました。リコール通知ではありませんでした。
レターのタイトルは、「アイルトン・セナを悼む」でした。

そのレターには、ウェルカムプラザをブラジル駐日大使が訪れたこと、ブラジルのアイルトン・セナ家の弔問の際に芳名帖が遺族に渡されたことなどが記されていました。
私は、このレターを手にして、モータースポーツファンの心を大切にするホンダの姿勢が強く感じられて、とても嬉しく思ったことを憶えています。。。
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それから、早23年が過ぎました。当時、ホンダファンだった私は、セナ哀悼の件でホンダをますます好きになったのですが・・・・・
その後、ホンダは第3期、第4期としてエンジンサプライヤーあるいはフルコンストラクターとしてF1に再び参戦しますが、第2期の輝かしい戦績からは程遠い結果しか残せていないのは、いにしえのホンダエンジンの活躍を鑑みると、とても残念に思えます。
そして、私は次のクルマもホンダ車を買って、2台続けてホンダ車に乗ったのですが、、、その2台がともに、あまりにお粗末な、笑い話かブラックジョークのような同じトラブルに見舞われて、ホンダのクルマが張りぼてにしか見えなくなってしまいました。心底から懲り懲りしてしまった私と嫁さんは、もう二度とホンダ車は買わないことを決意しました。
好きだったホンダとは、残念ながら疎遠になってしまいました。。。
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運命のサンマリノ・グランプリでトップのセナを追走していたシューマッハも2013年末のスキーでの転倒事故で昏睡状態に陥り、現在、どのような状態にあるのかは明らかにされていません。この事故のニュースを耳にした時、シューマッハのタフネスな印象にはそぐわないニュースだと思ったのも事実です。
セナの研ぎ澄まされた繊細な速さ、シューマッハのふてぶてしいほどの強さ、1990年代前半から中盤にかけてのF1シーンを、今でも懐かしく思います。
もし、セナがタンブレロコーナーでコースアウトしなかったら、その後のF1シーンはどのようになっていたのでしょうか?、セナの命日の今日、ふとそんなことに思いを巡らせた次第でした。

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セナのF1レースはよくテレビで観ていました。
突然の訃報には驚きました・・・
23年たっても忘れないです。
by green_blue_sky (2017-05-02 06:53)
早いもので、もう23年ですね。
当日はフジテレビの放送を観ておりましたが、速報が入った時の衝撃は今でも覚えております。
私も青山のウェルカムプラザへ行き記帳させて頂き、封書が贈られてまいりました。
当日録画したビデオ、今でも大切に残しております。
レースに情熱を注ぐホンダですが、今年の状況は残念以外の言葉が出てきませんね。
by MINERVA (2017-05-02 14:29)
green_blue_skyさま、こんばんは。
なぜ、セナが選ばれて天に召されたのだろうか?
23年間、そのわけを知りたいと、ずーっと思い続けているような気がします。
by 芝浦鉄親父 (2017-05-02 22:53)
MINERVAさま、こんばんは。
TOYOTAが撤退したころから、F1に対する関心は失せてしまったので、今はネットでグランプリの予選、決勝の状況をチェックするくらいですが、、、今年のマクラーレン・ホンダは無残というか、酷すぎますね。。。アロンソが可哀そうです。
かつてパワーで席巻したホンダエンジンの意地を見せてほしいです!(もはや、無理っぽい気はするけど・・・・・)
by 芝浦鉄親父 (2017-05-02 23:07)