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1974年6月2日 [つれづれ日記]

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今から41年前の1974年6月2日、日本のモータースポーツ史上、最悪と言えるレース中の大惨事が発生しました。

当時の日本のレース界は、2Lレーシングスポーツカーによる富士グランチャンピオンシリーズ(富士GC)が大人気を博し、ファンだけでなく世間一般の関心、注目度も高く、今日では想像がつかないくらい、大きな盛り上がりを見せていました。

その第2戦、富士グラン300キロレースの第2ヒートスタート直後、多重接触・クラッシュが発生して、数多くのマシンが炎上、ドライバーの鈴木誠一選手、風戸裕選手の両名が焼死しました。

このレースの模様は数日後、当時の東京12チャンネルで放映され、大惨事の模様が克明に茶の間に流れました。

ローリングからの第2ヒートスタート直後、30°バンク手前のストレート中盤から終盤、先頭を走る高橋国光選手のマーチ735BMWを追って、ストレートイン側に黒沢元治選手のマーチ745BMW、ストレートアウト側に北野元選手のマーチ735BMWが並走していました。

そこで黒沢マーチが北野マーチに何度も執拗に幅寄せ、接触を繰り返し、北野マーチをアウト側のグリーンに弾き飛ばします。スタート直後とはいえ、富士フルコースの長いストレートエンド付近では、260km/h程度でマシンは疾走していたと思われます。

グリーンに進行方向左側の車輪を落とした北野マーチはバランスを崩し、瞬時にノーズを右側を向け、ストレートを一気にイン側に横切り、後続のマシンに接触、後続車はパニックに陥り、結果、多重クラッシュが発生します。後続車集団の中の、風戸裕選手のシェブロンB26BMW、鈴木誠一選手のローラT292BDAの2台のマシンも巻き込まれ、大破、炎上しました。

スカイラインがプリンス自動車の時代からのモータースポーツファンだった私には、放映されたこのシーンの黒沢選手の行動は決して許せるものではなく、引き起こされた結果から、大変な怒りを覚えました。
単なる2番手争いの末のレーシングアクシデントには全く見えませんでした。テレビの画面からは、黒沢選手の北野選手に対する何か殺意みたいなものを感じ取ったことを、今でも鮮明に憶えています。(このあと、黒沢選手は業務上過失致死で書類送検され、一旦は日本のレース界から追放されました)

今でも、この2名のドライバーが、このレースで命を絶たれなかったら、日本のレース界にどのように影響を与えていたかを考えることがあります。

風戸裕選手は、1972年からプライベートでF2に参戦していましたが、1974年シェブロンワークスチームからシェブロンB27schBMWでF2参戦が決定していました。この惨事に巻き込まれなければ、日本人最初のF1チャンピオンシップ戦に出場するドライバーになった可能性は非常に高かったと思われます。それを考えると本当に残念です。
因みに、日本人で初めてF1レースに出場したドライバーは風戸選手の良きライバルだった高原敬武選手です。この年の4月にノンチャンピオンシップ戦ながらマーチ741コスワースDFVで出場、決勝11位の記録を残しています。

鈴木誠一選手はマーチBMWに比べて非力と言われていた、ローラT292BDAのセッティングを地道に詰めていき、1973年の富士GC最終戦、富士ビクトリー200キロレースで快走、優勝しています。当時、BMWエンジン搭載車以外、富士GCには勝てないという風評を見事覆しての快挙でした。
命を落とした、富士グラン300キロレースを最後に引退を決めていたとも伝えられた鈴木誠一選手は、この惨事に巻き込まれなければ、引き続き東名自動車でサニーをはじめとする日産車やレーシングエンジンのチューナーとして、あるいは後進の育成者として、日本のモータースポーツ界に更に多くの貢献をされたことは間違いないと思います。

あらためて、41年目の今日、お二人のご冥福をお祈りしたいと思います。

こんな怒りに満ちた、悲しい出来事があっても、当時の日本のモータースポーツ界は今日よりは、はるかに活気があり、衆目の関心も高かったと思います。このように思うのは、単なる年寄りの回想だけではないと考える、今日この頃でもあります。


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コメント 2

なぁ

昔のレースの事、回顧本などでよく読んでました。
その当時は大きな事故が多発していたんですよね。
生で見ておられたんですか・・・
私がレースに興味を持つようになったのは星野一義選手や中島悟選手がF2で覇権争いをしている頃でした。
安全設備や技術進歩によって昨今は悲惨な事故は少なくなりましたが、燃えるような情熱も少なくなったように私も感じます。
by なぁ (2015-06-04 23:26) 

芝浦鉄親父

なぁ様、おはようございます。
このレース、生では見ていません。テレビ放映で見ました。
テレビ放映ではスローを含め、繰り返しスタートから炎上、生存者が炎をあげるマシンから飛び出すところが、映し出されました。
ショッキングな光景、忘れられません。
by 芝浦鉄親父 (2015-06-05 08:31) 

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